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ガン闘病記シリーズ41 

2017, 11. 24 (Fri) 15:52

3-10 入院三週間目に突入

 

今朝の血液検査結果は、G点滴はどうなる

 

 「血小板、白血球が低位限界値となっています。のち程三回目G点滴の可否を決定します」と看護師から連絡を受けた。おそらく医師グループが相談し、今後の治療の結論が出されるものと思う。この結論が出るまでの待ち時間は本当に辛くて長い。

 

ここまで計画通りの治療ができていたから、まさか私の身体が悪い方に傾いているとは考えてもみなかった。せっかく副作用に耐えガマンを重ね、それで順調に進んできた治療が一旦延期になるのは、落胆することこの上ない。

 

 そういえば、先週のG点滴前の血液検査値も下降状態だった。それでも点滴は実施可能となったので安心していたのに、その後も値は下降し続けていたということだったのか。そのようなことは全く予想しなかったし、また、外出許可まで出ていたので大丈夫だと思っていたのだが・・・駄目だとは誠に残念でならない。

 

このようなことが起きるのは生身の身体だからこそ、その時どきにいろいろ症状は変化する。なので、いくら治療計画に沿って進めようとしても、100%実行とはいかず、計画はあくまでも予定なのだ。これでハッキリするのは、机上の論理は現実を目の前にすれば、もはや跡形もなく消え去るということの証である。このようなことはどんな好条件で満たされていても、起きるときには起きるものなのだ。だから、今回延期になるのは特殊のことではないので、焦ることはない。確かG点滴後七日目~十四日目に血小板や白血球などは最低値になり、二十一日目頃には回復して正常範囲に戻ると専門書には記載されている。なので、二週間位の延期で治療再開可能と思うのだが・・・。

 

しかし、今の私にとって二週間は長い時間である。といって血液の値が悪くなっている時期に、無理して治療を続ける訳にはいかないし、それを無視して治療すれば益々悪化の状態を招くことになる。勿論、この状態の患者に対して医師が治療を続けることなどあり得ない。なので、ここは体調に応じてときを待つことがベスト、待つことも治療のひとつだと思えば良いのだ。要は落ち着いて、どのような状況になっても焦らず慌てず諦めないで冷静に対応し、一喜一憂することなく、何事も良かれとポジティブに受け止めることが大切なのだ、と自分に言い聞かせている。

 

すでに体調は元に近い状態にまで戻り、食事もかなりできているので、延期になりそうな二週間は気楽に過ごせば良いだけのこと。

 

入院時、何があろうとポジティブに全てを受け入れ、治療に専念すると自ら宣言したのだから、初心に戻って対応すべしなのだ。

 

三回目G点滴は中止となる

 

午後主治医より、

「血液検査結果で血小板が減少してきている。なので、明日のG点滴はスキップします。これでこのクールの治療は終了です。あとは身体が元の状態に戻るのを待って退院です」とのこと。何と! 三回目のG点滴治療が中止になるとは・・・これは全く私が考えてもいなかった結果であった。

 

この予想だにしなかった結果は、私の落胆の度合いを計り知れないまでにしてしまった。まさに天から突き落とされた感覚で、このときの気持ちを表現する言葉は皆無に等しい。

それ程にまで私の身体は弱っていたということなのか。

勿論、この身体は年齢と共に弱っていると感じてはいたが、現実にレッドカードを突きつけられるとなす術もなかった。

 

ところが、その反面、抗がん剤治療が終わってホッとした気持も交差し、張り詰めた糸がプッツリと切れて安堵感が生まれ、失望と安らぎが入り乱れた複雑な心情があるのに気付くのだった。さらには、治療で入院してきたのに、それができない自分の身体の状態に大きな苛立ちを覚え、元気であった頃の身体が愛おしくてならなかった。が、今は感傷的になっても何の足しにもならず、今は体が異常を現しているのだから無理は絶対に禁物、と自分を納得させるよう何度も何度も言い聞かせながらも、ひとり愚っているのであった。

 

この抗がん剤治療は補助的化学療法の位置付けであり、さらに三回目のG点滴はそのまた補助的なものだから、医療側は余り重要視していない、そんな感触を私が抱くような雰囲気が病院内にはあったと思えた。いろんなことを感じる本当に厄介な患者である。

 

しばらくして看護師Uさんから、

「スキップする方も結構おられます。副作用もいろいろで、脱毛する人も居ればしない人もいます。患者さんによって薬の量も違います」と追加説明があった。いろいろな面で看護師さんには本当に配慮してもらっている。

 

今回のように自分が初めて体験することは、どうしても他の体験者の現象を参考にしたくなるもの。でも、患者ごとに抗がん剤の種類の違いで、副作用の出現度合いとその強弱は千差万別だから、他を知っても自分にとって気休めにはならないし、参考にもなりはしない。それでも、このような状況におかれると、知りたい感情を抑えることは難しいものである。

 

三回目のG点滴治療をスルーしなければならないことで、副作用を跳ねのける力が衰えていることを私は認めざるを得なかった。もう若くはないのだから、これが紛れもない現実として、私は今このことを痛烈に感じ、落ち込む入り口に立たされていたのである。

 

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2017, 11. 20 (Mon) 08:49

 脱毛も楽しい

 

今は点滴がないので尿の量は少ない。身体の具合は、首筋と脇腹の筋肉痛が少し和らいだと感じる程度で、相変わらず頭は重く全体に倦怠感が残っている。

 

ナースセンターで泌尿器科の医師に出合ったとき、

「そろそろ脱毛が出現する時期です」と声が掛かった。既に現役引退していたので、私はいつ丸坊主になっても構わないと思っていた。それもたかだか一時期のこと、抗がん剤治療が終われば、また元通りフサフサの白黒交じりの髪が生えてくるだろうから。脱毛が始まれば、スキンヘッドにして生きていくのも、また楽しいものだと思えた。

 

連休中の病棟は静寂そのもの

 

三月二十一日、二十二日は連休で外来、入院病棟共に静かで過ごし易い。けれど、これ以上の静けさ、つまり病院の床に硬貨を落としたときのチャリン、この音が響きわたる静寂は気持ちの良いものではない。それは何となくではあるが不気味な雰囲気を感じさせ、それが余計に警戒心を強めることに繋がるからである。

 

この連休中、外泊で自宅に帰り家族と過ごす入院患者がいる。そのように過ごせる人は幸せだ。それができず車イスに乗ったおじいさんおばあさん、入院病棟に設けてある憩いのエリアに集まっている。その人たちの誰ひとりとして、病院内の庭園を散歩することはできない。その顔から笑顔は消えている。それは笑顔を忘れたのではなく、作り笑顔もできない環境に身を置いているからだと私は感じた。せめてほんの少しだけでも高齢者が笑顔でいられる、そんな環境の病院を造ることができないものなのか、と私はつい思ってしまう。

 

これは病院経営者が、この現場に来て見て知ることをしていないから、問題把握ができずにいるのだとも私は思う。現状で良いとの思い込みが、改善の必要性を認識させないでいるその結果がこれなのだ。それにもまして現場を預かる責任者から、課題として提起されないことも問題なのだ。もっとも現場責任者が、この状態を問題と認識する判断能力がなければ表面化はしないし、また、見慣れてマンネリ化していれば見過ごすことになるだろう。

 

いや、現状認識はしているという反論があるのなら、何としても消えた笑顔を取り戻すことも病院の務めと考え、なぜ実行しようとはしないのか。大よそ人は会話をしなければ、また、人の生の話を聞かなければ笑顔は生まれてこないもの。これは極々当たり前のことで、健康な人でも会話がなければ暗くなり寂しそうに見え、やがて本当に暗い雰囲気を持つようになってしまうものなのだ。だから会話の機会を持つことが大切で、会話をメイン業務とするメンタルヘルスケアの看護師を配備、また、会話を楽しみながら高齢者が庭園散歩できる環境の整備が必要であると、私は素直に感じるのである。


 

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