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09/26のツイートまとめ 

2017, 09. 27 (Wed) 04:18

je_yuasa

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09-26 07:04

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ガン闘病記シリーズ32 

2017, 09. 23 (Sat) 13:07

 

それでも抗がん剤治療は必要か

 

O病院がん相談支援センター相談員に、今の私が副作用のリスクがあるのに、抗がん剤治療を受けた方が良いのかどうかを訊ねたことがあった。そのとき相談員は例えばとして主治医に、

「『先生の家族が私と同じ状態の患者であったら、抗がん剤治療を受けさせますか、どうしますか』と一度聞いてみてはどうですか」と言われていた。けれど、これは主治医の本心をダイレクトに探っているようで、さすがに私は投げ掛けることはできず、また、抗がん剤治療を受けなければどのような事態を招くのか、質問することもできなかった。なぜか私は自分の身体のことなのにできなかったのである。

このように聞きたいけれど聞けないでいる心境の患者は私だけではない。ほとんどの患者がこのような状況にあるのだから、医師は患者から聞き出すことも医療技術のひとつとして、ここはその技法で私に話せるように仕向けてもらいたかった。それができなかった私は医師に責任転嫁していたのだった。

 

抗がん剤治療を受けるかどうか、選択は難しい

 

やがて主治医の抗がん剤治療を推奨する説明は終わった。けれど、それはとてもじゃないが、私が十分に理解できるものではなかった。なぜなら、念のためとはいえ再発転移の危険がどれくらい残っているのか、また、正常な細胞に与える影響度や副作用の実態など、その辺の説明が曖昧でポイントが掴みきれなかった。

 

そのような状態にいる患者に、抗がん剤治療を受けるか受けないか、それは患者の意志で決めてくださいと言われた。ここで患者が受けない選択をすれば、あとで何が起きても医師は責任を負わず、患者自身がそのリスクを背負うことを意味するのだ。その反対に受ける選択をすれば、副作用のリスクを患者が背負うことになる。

 

医療の現場で、当事者能力の乏しい状態にある患者が、どちらかの判断を迫られたとき、受けないとは決断できないのだ。困った選択をさせるものだとボヤきたくなった。優柔不断と言われればきっとそうなのだろうが、私の今の正直な気持ちは「そんな殺生なことありか、それならもっと分かりやすく説明してもらわないと判断できへん! 」と投げ掛けたい状態である。

 

そもそも治療の選択をする主が患者にあることは理解している。けれど、現実は多くの難題があって無理と言わざるを得ないのだ。が、それでも患者が選択すべきだというのであれば、全ての治療方法とその効果やリスク、さらには処置費用なども分かり易く提示してもらいたい。といって、全てが並べられたその中からひとつだけ、自分に適した治療法を間違いなく患者が選択できるとは、私には到底思えない。そんな知識も技量も何もない患者に選択させるのは、無茶というものだ。所詮は無理を承知で、形だけ選択権が患者にあると見せかけているようにしか思えない。

 

この論理が患者の身勝手、わがままであると承知はしている。が、これが本音というものだ。よしんば選択できたとしても、その基準は経済面や治療期間、さらには痛み苦しみなどを主にするのであって、治癒への最適な治療方法を選択することとは距離があるのだ。

どうせならこの治療は、医学的に完全治癒を目指すものだから、受けてもらうことになります、と指示のある方が患者はスッキリして対処がしやすい。けれど、これは100%治癒の保証ができるときであって、そんな治療は現在も未来もある訳がない。それを知っていながらの私の言い分なのである。

 

ところで、特に医療界においては100%の数字などはなく、どんな場合にも必ず例外が生じるし、曖昧な部分も必ずあるとN病院がん相談支援センターから教えられていた。だから私のように、白か黒かと言い切ることは、どの医師にもできないのが当然なのだと思う。

それだから、医療の世界にはファジーの部分があって良いのかもしれない。何もかも明確に断定することを、私のように求めてはいけないのだろう。と、理解はするものの、何かモヤモヤしたものが私を包み、判断を迷わすのである。

 

もとよりこの世に100%の数値は存在しても、現実にその姿は無いに等しい。とりわけ医療の世界に完璧という言葉はなく、医師も患者も完全治癒を目指しているが、それを保障したりされたりするものではない。

 

今日もまた右往左往の一日だった。が、そんな中でも今日の私の目的は、一応達成することができたと納得している。といって、これからも主治医に聞きたいことが起きたとき、今日と同じような言動が私にとれるかどうか自信はない。なので、どのようなことであっても主治医に聞くときは、やはり苦労することになるだろう。これも経験しないと、又は患者が厚かましくならないと進歩しないのだろう。勿論、対話の方法論がキーポイントであることに違いはない。

それでも、紆余曲折(うよきょくせつ)はあったけれど、案ずるより産むが易いとはこのことである。

 

抗がん剤治療を受ける決心をする

 

今日の説明を受け、モヤモヤしていた術後の身体状態が理解でき、それで最終的に抗がん剤治療を受けることが得策である、と判断し決心するに至ったのである。要は抗がん剤治療で再発転移のリスクを減少させることができると想え、腹を(くく)ったのだ。この治療で結果がどうなるか誰にも分からないが、保留にしておくよりも決心しておく方が気持ちは楽である。そんな思いを持つことで、少しは明るい表情となって私は妻と病院を後にした。

 

今回の私の相談で、患者が何に対して不安を持ち、何を知りたがっているのか、医師はこの事実を把握し、患者から質問を投げ掛けられる前に配慮してもらえることを望みたい。が、これを実現するのは難しい、と私自身は感じている。

なぜなら、現在はどの病院の医師も大変忙しく、患者ひとりひとりに十分な時間が取れないのが実態、それは街の家庭医の医師にもいえることである。要するに、医師の患者と接する時間の持ち方が最大の課題なのだ。

でも、これは医師だけの問題ではなく、医療の仕組みや病院運営に本質的な課題があると思われる。したがってこの課題は、医療界全体に関わることなので、一筋縄では解決しないものだと諦める思いを抱かざるを得ないのである。

今回がん相談支援センターに出掛けて相談できたこと、主治医に質問を投げ掛けて回答をもらうことができたことは、これまでの私にはできなかった行動が取れた、そんな自分に満足するのもがあった。

 

入院中の時間を大切にしなければ

 

あれこれ迷いながらも、私は抗がん剤治療を受ける決心をした。先日、医師の説明を受けて理解を深めたが、それでもこの治療への私が抱いている疑問や、副作用などの不安の全てが解決した訳ではない。そんな私の気持ちなど無視し、抗がん剤治療での入院が刻々と近づいて来る。これが影響してか私の日々は落ち着きがない。それはこれからの入院一ケ月が、私にはとてつもなく長い期間に思え、再び味気ない侘しい生活になることを(うれ)えるからである。また、このあとの私に残こされた人生の時間を、入院のために使いたくない、と思う気持ちが強く働いていたからでもある。だからせめて入院した病室では、暇潰しのためだけに時間を使う選択はいけないと、もうひとりの私がアドバイスしているのだ。そこで、病室のスペースでも楽しめる、私なりに意味があると思える趣味をいくらか持参しようと。が、よくよく考えれば、それは病室という空間で展開するようなものではない。それに何を選択しても、病室では直ぐにつまらなくなってしまう。それであれば、とりあえずは日記を書く、これに多くの時間を割り当てるのが、私が一番充実感を得るひとときになると思える。

 

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ガン闘病記シリーズ31 

2017, 09. 22 (Fri) 07:07

2-12 入院前検査2010年3月》

 

抗がん剤治療スケジュール

 

手術後の身体回復具合の確認と、抗がん剤治療前検査で、私は妻と病院に出向いた。いつも子供の保護者のように、妻は私と行動を共にしている。

今日のCT検査結果は、CT技師の見解は未だこの時には出ていなかったけれど、主治医が診て異常なしの診断を下した。CTでガンの再発転移があれば、0.5㎝位の大きさから確認できると説明があった。

 

説明後早速、第一クールの治療スケジュールが示された。

三月九日入院、三月十日から抗がん剤静脈注入治療、入院一ケ月の提示があった。続いて、第一クール終了後一旦退院し、一週間程自宅で休養して再度一ヶ月間の入院治療が提示された。とにかく治療中は何が起こるか分からないが、再発転移を防止するため、治療に専念していくと私は妻に眼で伝えていた。

 

医療分野の専門用語に苦しむ

 

この機会に確認しておきたかった手術前の尿検査---血尿---が、どのような結果であったのか、私は主治医に質問した。するとグレーゾーンとの回答があった。このファジィーな表現は何を意味しているのか、どのように解釈すれば良いのか、私には具体的なことは皆目分からない。

なぜ、医師は分かりやすい表現をしないのだろう。医学分野では、ドイツ語が多く使われると聞いているが、それにしても常に医師は難しい専門用語を使って説明したがる傾向にある。それは医師というプライドがそのようにさせるというのであれば、言葉が持つ意味のはき違いもはなはだしい。医師の持つレベルの高いプライドとは、どのような患者に対しても理解させる話術を駆使することなのだ。

 

良い医者とは

 

私の購入したガンに関する本には、下記の内容が記述されている。

1.患者の話をよく聴く。

2.分かりやすく説明してくれる。

3.つらい話でもショックなく伝えてくれる。

4.食事や運動など生活上の注意をしてくれる。

5.必要であれば直ぐ専門医を紹介してくれる。

6.家族の気持ちまで考えてくれる。

7.患者の不安や辛さを理解し心を支えてくれる。

8.ほかの医師の診察申し入れを快く受け入れ、情報を直ぐに貸してくれる。

9.うそをつかない。

 

 このような技量の全てを持ち合せている医師がどこにいるのか、私は知らない。全くもって現実味のない理想の姿が並んでいる。このような記述に出会うと、現実とのギャップの大きさに益々腹立たしくなるのは、私だけであろうか。こんな一節は、冷めた感覚で見て見ぬふりしておくことも、患者としての選択肢である。

とはいうものの、絶対に居ないと断定するのも良くないと思う。なぜなら、私が知らないだけなのかもしれないから。おそらくそれに近い医師は、必ずどこかに存在するのだろう。その根拠は曖昧であるが、全てに於いて完璧な医師はいないけれど、逆に全てが駄目だという医師もいない、と私の期待したい思いがあるからだ。

 

賢い患者の条件

 

このことについても触れられている。

1.伝えたいことはメモなどして準備する。

2.医師とより良い関係づくりをするためには、患者自身にも責任があることを理解する。

3.自分の身体の変化や異常をよく伝える努力をする。

4.納得できないときは何度でも質問をする。

5.医療にも不確実なことや限界があることを理解する。

 

この中に、私にも幾らか実践できそうなのがある。しかし、全体的には絵に描いた餅のようだ。なぜなら、これを実践するために何を整備するのか、また、達成手段が具体的に明示されず曖昧で、つまりは表面的な言葉だけが独り歩きして、中身のないキャッチフレーズと同じなのである。

 

新たな疑問をメールに託して

 

手術前検査の結果説明を受けた事柄をベースに、新たに生じた不安や疑問点を整理し、O病院がん相談支援センターへメールでアドバイスを求めた。

 

質問事項と回答内容

 

Q1.手術前の尿検査の結果、グレーゾーンと説明がありました。これはどのような状態なのでしょうか。

A1.クラス3のことではないかと思います。それは+や-のことで、尿にガン細胞が混じっているかどうかが判定できないことです。クラス3と出た場合、ガン細胞以外では膀胱に炎症があるときも出ます。

 

Q2.CT検査の結果、現在はどこにもガン細胞は確認できません、との診断でした。手術から二ヶ月半では微小なガン細胞があっても、今はCTに写りませんか。

A2.この時期のCTでは、ガン細胞が膀胱にあるのかは確認できないと思います。

 

Q3.尿管ガン細胞は、尿管の筋層に浸潤---レベル2---している程度で、ガン細胞は全て除去できた。けれど、ガンの質が悪いといわれました。悪性度のグレード1~3のことを指しているのでしょうか。

A3.ガンの悪性度とは、ガンの性質の悪さのことで浸潤や転移、また、ガン細胞が大きくなる早さが速くて深い程、悪性度は高いと医療者は表現します。尿管の壁は薄いため浸潤の速さは、厚い臓器より速いということになり、性質が悪いといわれる所以だと考えます。

 

そもそもこれらのことは、主治医の説明の中に全てあってしかるべし、と私は思っている。が、これは医師によってそれぞれ手法が違うのかもしれない。それなら担当の医師によって、治癒するかどうかなども左右することになりかねない。そのようなことがあれば誠に不条理なことだし、あってはならないことである。医療界では、どこの病院に行っても日本全国同じ診療治療が受けられる、この状態を目指しているにも拘らず、実態はこれには程遠いと感じずにはいられない。

 

そのような思いをこのような表現で記述すると、主治医に対して不信感を抱いているように捉われるかもしれないが、決してそうではない。

 

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ガン闘病記シリーズ30 

2017, 09. 15 (Fri) 08:31

2-11 主治医との面談

 

素直な気持ちは相手に通じる

 

O病院がん相談支援センター相談員からアドバイスをもらった医師との接し方、不安な気持ちを素直に表現し教えてもらう気持ちで投げ掛ける、具体的には、術後の身体の状態をよく知り理解して今後の治療を受けたいので、幾つか不安に感じているその辺のことをもう少し詳しく教えていただけませんか、このスタンスで切り出してみよう。要は謙虚な姿勢がポイントなのだ。

 

そう決心して早速病院へ行き、外来飛び込みで主治医との相談面接を申し出た。このような場合、少しばかり相談には時間が掛かるから、できれば診察の一番最後を予約すれば医師も相談に乗りやすい、と本に書いてあったのでそのように依頼した。

 

病院受付窓口で依頼すると担当者は、

「主治医は本日診察担当でありません。でも、来ていますので相談します」と調整してもらった結果、直ぐに対応が可能となった。

 

しばらく診察室で待っていると、主治医が入って来て椅子に座るなり、

「手術後に詳細な説明もしなくて誠に申し訳ありませんでした。不安事項や知りたいことは何でも聞いてください」と切り出された。

 

このときの配慮ある第一声で、自分勝手に話し難いと思い込んでいた私の気持ちが、一気に吹き飛んで消えてしまった。私が何の目的で来院したのか、主治医は受付担当者から聞いて知っていたのだろう。それにしても何となく、患者の気持ちを理解してもらっていると受け取れ、それが私を緊張から解放させたのだった。それでも私は整理した質問を投げ掛けるので精一杯だった。

主治医の説明を聞いて新たに生じた疑問、さらにもっと深く知りたいことに気付いた事柄は、後日説明を受ければ良い、というか質問の整理をする時間がなかったのだ。やはり苦手としている事柄は、少しばかり場の雰囲気の良さだけで、好転に急変させることなどできないものである。

そばにいる妻は、説明を受けるときにはいつもノートに記録し、自らも質問をしていた。やがて私たち夫婦の確認したい要件は済み、つづいて主治医より今後の抗がん剤治療についての説明と移行していった。

 

抗がん剤治療の説明

 

治療は第一クールと第二クールに分けられ、二回とも同じ治療内容となっている。その治療はGC療法と呼ばれているもので、Gはゲムシタビン、Cはシスプラチンだと私は直ぐに理解することができた。この療法は標準的なものとして専門書に記述されている、また、ガン相談支援センターの相談員からも聞いていた、私の病状に最適と評価されているものである。

 

しかしこのGC療法は入院治療が原則、もとより入院の予測はしていたけれど、現実に突きつけられると、非常に辛い響きで私の全身に伝わってくるのだった。何せ入院といえば重い病状との先入観が私にはあるから、どうしても気持ちは暗くなってしまうのだ。でも、入院して治療する方が安心であることに違いはない。けれど、病院という雰囲気はそこに居るだけで、健康な人でも病気になるような空気が漂っている。どちらにしてもメリット・デメリットはあると考えるが、何であれ入院を当たり前と捉えることよりも、異常な事態であると捉えることの方が正常と感じるのだが・・・。

 

この療法が入院を必要としている理由は、患者によって副作用の出現状態に強弱の違いはあるが、そのとき適切な処置を迅速に行うためである。それには病院が日々、詳細な症状の全てを把握しておく必要がある。なので、入院は必要不可欠、全て患者のためとの説明を聞いて納得するのだった。

 

これはがん相談支援センターの拠点病院でも、入院治療と聞いていたので仕方がないと観念したのだった。でも、第一クールだけで一か月間は長い、と次第に私の気分は深い海底に沈んでいった。

 

いうまでもなく、入院を好む人など何処にもいないと思われるので、そのような気持ちになるのは当然のことでもある。

余談だが、巷では自身に社会的不都合が生じたとき、体調不良と称し好んで入院して雲隠れする御仁(ごじん)が多いのには困ったものである。


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ガン闘病記シリーズ29 

2017, 09. 09 (Sat) 14:35

2-10 メールで確認、出掛けて相談

 

駄目でもともと、メール送信

 

昨日もらったがん相談支援センター連絡先メールアドレス、間違いなく利用するだろうとの思いで私はパソコンに登録した。早速、これから予定されている抗がん剤治療、また、セカンドオピニオンなど私の悩みごとや不安なことについて整理し、各拠点それぞれにメールで相談の依頼をし、返信を待つことにしたのだった。

 

そうはしたものの、フォーラムでの発表は(いささ)かパフォーマンス要素もあったのでは、だから私の思い通りにはいかないかもしれない、とこのとき回答をもらう期待度を極めて低く設定していた。

 

親切なメール回答を受信、舞い上がる

 

相談メールの送付から数日してN病院とO病院から、私の想像を遥かに超えた内容のメール返信を受けることになった。

 

N病院がん相談支援センターでは、私の相談メールを分かり易い表現に置き換え、質問項目の要点を整理し、それを基に病院内泌尿器科部長含め医師グループが詳細に分析した診断結果を、医師の署名入りのメール回答をもらうことになった。

 

一方、O病院がん相談支援センターからも同様に、相談内容を一項目ごとに理解し易い患者目線で表現した説明のメールが届き、その内容に私は満足するものがあった。こちらも病院内の泌尿器科の医師が診断した様子が記述から伺えた。

 

私の病状については、メールで自分流の表現で記述しただけで検査データーもない中、がん相談支援センターがよくもまぁここまでして要望に応えてくれたものだ、と私は大いに感激し期待度を低くしたことを恥じると共に、気持ちは一瞬にして希望へと繋がっていく思いだった。それはメールを見ている内に、私の体は熱気を帯び舞い上がっていたからだった。ここにガンと闘う私に新たな強い味方が出現したのである。

 

これ程にまで良き影響を与えるがん相談支援センターの対応は、まさに地獄で仏に出合った思いだった。あれこれ嫌なことの多い現代においても、世の中捨てたものではない、たとえ苦しいことがあっても必ず救いはある、と私に揺るぎない希望を抱かせたのである。ここに至ってようやく、欲しかったガンに詳しい相談者、強い味方を私は獲得することができたのである。何だかんだ言っても、気持ちが救われる思いに至れば身体は良い方向に、治癒の道に導かれているようになるものである。やはり病は気からだ。

 

ところで、私がメール文の何に感激したのか、それは相談を受けても所詮は他人事で済ませてしまうことの多い現代社会であるのに、相談員や医師グループは自分のことのように、また、身内のように親身な対応をしてもらっていることが、説明の文言から伝わってきたところに誠意を感じたのである。要するに、建前と本音が違わない、チャラチャラしたあるべき論ではない、全てが患者目線の姿勢に一貫性があることだった。

 

このときの患者目線とは、患者が今どのような心身の状態にあるのか、それを鋭く洞察し理解しているからこそ表現できる、非常に繊細な心情を含んでいることをいっているのである。それにもまして、沢山経験している実績が、自信となって(みなぎ)っているのを感じられたのである。

 

この回答メールを受け、正直なところ私はセカンドオピニオンを体験している気持ちになり、さらに確認したい事柄について再び整理を始めた。

 

その後のやり取りの中で両センター共、メールではなかなかお互いに伝えたい真実が分からないこともあるから、是非相談に来てくださいとの要請があった。

 

相談に出掛ける

 

相談に行くべきかどうか悩んだ末、私は妻と一緒にO病院がん相談支援センターへ出掛けた。これまでの私なら強がりの意地を張り、自分の病気を公に話すことなどしなかったのに、フォーラムに参加してからは姿勢がすっかり変わっていた。O病院を選択したのは、この病院でこれまでに幾度も診察治療の経験があったという、そんな単純な理由だけだった。

 

さて、がん相談支援センター女性相談員さんは、私たち夫婦が理解できるレベルに目線を合わせた、非常に分かりやすい表現で説明された。また、患者側の話をよく聴いてくれる寛容な対応は、私たち夫婦が安心するのに十分な配慮だと思えた。それに改まった堅い服装ではなく、普段着だったのが夫婦ともリラックスできる要因となり、それだから自然に私の心の扉は開いていった。これは病院の白い制服よりも普段着の方が相手を落ち着かせる、という効果を招く演出であるように思えた。要は患者が主役で相談員さんは脇役、この姿勢を終始堅持した対応だった。

 

このとき対応していただいた相談員さんは、ガンに関しての知識レベルは高く、ガン専門の看護師さんだということは話の内容から想像することができた。その中でも特に尿管ガンが、なぜ血の多く混じった尿が出たのか、などについての詳細説明が、私が十分納得するもので決して疑問を抱くようなものではなかった。また、抗がん剤治療の処置で実際に使用している資料をもらい、これが私の心配をより小さくするのに役立った。その上、

「セカンドオピニオンとして当院に来られたら、いつでも準備をして受け入れます」のひと言は、私たち夫婦がより一層の安心と信頼を得るに値するものであった。これは何ともない言葉のように感じるが、私にとっては二層構造の防空壕に匹敵するものだった。また、相談員さんは、

「現在の主治医が貴方の体の状態を一番よく知っているので、知りたいことや不安なことはまず主治医に聞かれることをすすめます」と。

加えて、主治医に相談を投げ掛けるスタンスも教えてもらった。

 

これまで主治医に相談したいことがあっても、何となく話し難い雰囲気を感じ、どのように接すれば良いのかが私の悩みの種だった。この日頂いたアドバイスで勇気付けられ、妻と喜び合いながら帰宅の途に着いた。久し振りにがんばって働いている女性を見て元気をもらい、清々しい気持ちであったことを覚えている。

 

今日は、あれこれ思っているだけでは物事は何も前進しないし解決もしないことを改めて認識させられた。これは何事も自からが行動しなければ、望みは叶えることができないということ、また、諦めずに勇気を出す素直な行動があれば、必ず目的に近づけるということを教えられたようでもあった。

 

その後もO病院とN病院がん相談支援センターに、いろいろメールで状態を報告してはアドバイスを受けるようになっていた。

尚、がん相談支援センターへの相談は全て無料。とにかく不安や知りたいこと、また、いろいろなことで悩んでいる患者さんやその家族の方、ぜひ一度利用されることをお奨めしたい。

 

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